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仕事中に寝るなんて。

 仕事中に寝るなんて何て不謹慎なんだ。そういう気持ちになるわけだが、どうも5人に1人くらいは睡魔に襲われていて、かなりの時間、舟をこいでいるという調査結果があるようだ。

 こちらの記事なのだけれど、1日で47分間、しかもそれは水曜日に多いのだそうだ。ちなみに計算していくと1年間で24日くらいがこのような睡魔との闘いの時間という事になるようで何とも非生産的だ、という話になっているだとか。
 個人的にこの記事を読んで面白かったのは2点である。1点目は、当然だけれども何故か水曜日に居眠りが多くなるというところ、そして2点目は金融系でそういう傾向が強いという事だ。

 1点目の水曜日に居眠りが多いという点については、週の折り返しという事もあって、若干お疲れというところが容易に想像がつく。月曜日、火曜日については、週の初めという事もあって気合が入っている。木曜日、金曜日については、週の後半という事で週末に向けてわくわくしてくる。結果として、水曜日が精神的にも体力的にも厳しい感じである、というのは想像に難くない。

 2点目の金融系でそういう傾向が強いという点について。はっきり言ってこれは単純に自分の仕事に面白みを感じていない、という事なのだろう。ミスは許されない、しかし決してクリエイティブな仕事ではない、という事なのだろう。
 話は若干ずれるが、この金融業会ってのは矛盾をはらんだ商売だと常々感じる。皆さんから預かったお金だといって極端にリスクを嫌う割には、攻めなければ利益は取れない。

■居眠りめがね。欲しい人はお早めに


 結局何が起きるかといえば、資金需要が潤沢な、つまり経営がとてもうまくいっている会社に、おっつけで泣き付き営業する、というスタイルになってしまうのだ。当然、心のそこからお金を貸して欲しいと思っているその辺の中小零細の企業には脇目も振らない。それはそうだろう。そういう金を貸してほしいと思うような会社は、彼らからすれば体力の無い貧弱な会社で貸付リスクが高いと判断される為である。
 一時期、金融業界が事業精査してノンリコでの融資を増やしていきましょうというような話が出ていたけれども、結果として事業精査のスキルを伸ばしてきたのは政府系の銀行だけで、市中の地銀などは未だにおっつけお願い営業である。こういうインテリジェンスの無い営業を続けているのであれば、その後の展開も推して知るべしというところなのだけれども、いずれ、こういうような話だから、水曜日に眠くなるのだろう。

 まあ、いずれ職場で寝ようなどとは不届き千万。そういうリスクがある人は自己管理の範疇で早く寝ろと言いたくなる。そういう連中を自己正当化するようなそういう風潮にはまったく持って同意できない。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
テンプレートマッチング

 この前、面白い記事を見つけた。何でもトンネルの保守管理に防犯技術が使われているというのだ。一体どういう話なのだろうか。

 こちらの記事なのだけれど、まずは施工後の一番良い状態を3Dでスキャニングしておく。その次に一定時間経過した後、また以前と同じアングルで3Dスキャニングをする。この2つの差異を計測し結果表示することで、どの変の変化が一番大きいのかを見極めるというものだ。
 記事にも書いてあるのだけれど、一番重要な事は、人間の目視では判別できないくらいゆっくりした変化でも判別する事ができるようになる、という点。これらも以前のデータがあってこれを比較することを通じてのみ実現できるものである。

 記事では、3Dスキャニングはいいとして、過去のデータと現在のデータとをマッチングさせる方法が難しい、と書いてある。これについては確かに記事を読んでいてどうやってやるのだろうなと思っていた。
 素人考えでいけば、緯度と経度をGPSでも何でもいいので、まずは正確に計測すると。場合によってはその計測ポイントに石を埋めてしまう。あとは、目標になるところに2,3個石を入れておけば、そことの距離を計算していくことでかなりいいラインまでは行けるような気がする。
 ところが、ここで出てくるのが防犯技術だというのだ。より具体的にいえば、防犯でも画像処理の技術で、テンプレートマッチングという技術なのだそうだ。

 テンプレートマッチングとはその名の通り、テンプレートに対して現在の画像をマッチングさせて、似ているところなどを検出していく技術。防犯カメラでいえば、群衆の映像の中から犯人を見つけ出すなど、映像解析の分野で使われているとの事だ。
 この精度について、残念ながら現在の技術段階においては、動画レベルではまだまだ実験段階という認識なのだけれども、犯罪捜査の第一線では既に使われているし、静止画、というか写真という観点でいえば、リアルタイムに検知をする必要も無いので、かなりの精度を得られるという話もある。

 この記事では、この画像処理技術を応用して過去データと現在のデータをマッチングさせようという話のようだ。何とも大胆な発想だけれどもこれが実現すれば、3Dスキャンの精度、先ほど述べたところでいえば、何か計測地点に石を埋め込んでおいてなるべく1回目にスキャンした状態を再現しながらやる、というような必要がなくなるのだ。何しろ画像ベースでマッチングしてくれるのだからその辺の変な神経をつかわなくていい。

 これは現場実務者にとっては大変楽で、大変楽だという事は誰でもできる、ひいては計測データの収集も加速度的に進む、という事になる。新しいアイディアは既存のアイディアの組み合わせだといっていた人がいたけれども、当にそうだなと納得した訳である。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
しがみつきJAPAN 大学教授編
 昨日の続き。思わず長くなってしまったので後半戦は仕切りなおすことにしたい。コチラの記事に書いてある通り、旧国立大学時代のフォーマットから抜け出せきれない連中、これはえてして既得権益にしがみついている可能性が高いとされる連中なのだけれど、その中でも今回の記事の代表格としては、文科省と教授だ。

 記事によれば学長がいくら志を持って改革に臨もうとしても教授会の意向と違う場合においては、そのアイディアは消されてしまうということらしい。また、この一文が非常に気になるのである。

”能率を重視するビジネスマンは、企業経営と比べると、大学の経営など見ていられないという。現実的な政治家は、短期的な視点で性急に改革を迫ってくる。教育の世界に生きているわれわれは、確かにその通りだと思うところが少なくないのだが、本心では、企業家の効率主義や政治家の現実主義よりはもっと深いところに、大学と教育の本質があると信じている。”

 はっきり申し上げて、そのもっと深いところにある大学と教育の本質というのは一体何なのだろう、という話だ。結論としては自らの既得権益ではないのか。当然、非効率な点については効率化さるべきだ。正直、政治家に関して言えば自分の票のことしか考えていない訳だから考慮するほうが間違いというもので、しかし、大学経営を考えていく上で外部から金を引っ張ってきてしっかり自立した経済を成り立たせるというのは非常に大切なことだ。
 子供じゃないが、結局はこの経済の独立性が果たされていないと、誰かの言いなりにならなければならない、これは進んでその道を選択するということではなくて選択せざるを得ない、ということになる。
 場合によっては学長はプロの経営者でも良いのではないかと思う。ビジネスモデルをもう一度しっかり検討して、単体でしっかり利益をあげ、まっとうな経営ができるようにするのだ。教育や学問の研究は金じゃないんだ、という連中がいるが、そういう連中には給与、研究費を一切与えなければよい。それでよいのだ。所詮は社会に存在している以上、経済性の中からは逃れられない存在なのである。

 であるからして早いところ割りきってしっかり稼いでいく為にはどうしたらいいのか。真剣に考えたほうが良い。その中でどれだけ理想とする教育が実現できるのか考えればよいのだ。
 昔のことを思い出せばよい。金が無い人は学校などいかないで働いていたのだから。結果として、この辺の順番が曖昧になってしまった社会から逸脱した連中が既得権にしがみついて巣食っているのが大学、ということであるならば、経済原理にまかせて早々に潰れて貰った方が世の中のためだ。真に経済性のある研究開発であれば企業で十分実施できる。
 ハッキリ言って、大学や大学の先生の学問に対しての志を否定しているのではない。ただただ成果も出さずに役職だけで飯を食える時代ではないのですよと。その辺、世離れしないように、まずは補助金をゼロにして、あとは各々稼げと。そうして普通の企業というか経済性の中に身をおいてはいかがですかとそういう話なのだ。

 誰しもがぬるま湯の中は心地が良い。そういうものなのだ。しかしそのぬるま湯が枯渇しようとしている訳で、尽きればあとはお湯は冷めていく一方だろう。
| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
しがみつきJAPAN 大学と文科省編
 面白い文章があったのでご紹介したい。何でも大学の改革がうまくいっていない、という話である。

 詳細については記事をご参照頂きたいのだが、まあ簡単に言えば既得権益に群がるまさに亡者どもの話である。この場合の具体的な亡者は誰かといえば、文部科学省、大学の教授連中だ。

 文部科学省は、国立大学の時代は自分たちがお金を大学にあげる側の立場であって、これは大変心地の良いものであった。何しろ、お金くださいお金くださいと必要以上に上げてくれるものだから、その気になってしまうというもの。もちろん、これは、文部科学省のお金ではなくて、我々の値と汗の結晶である血税である。

 話は幾分か脱線するのだが、行政の連中と話をしていると、俺がつけてやった、いう訳の分からない話をし始める人がいる。より具体的に言えば「俺が補助金をつけてやった。」という意味なのだけれど、まず問題なのは、あなたが決定権を持っている訳ではないでしょうと。そういう権限はあなたにはありませんという事で、こういう誤解をする役人がいると住民にとって百害あって一利為し。早々にやめてもらいたい訳である。
 加えて、人の金をどうこうして偉くなったと錯覚している。これは銀行マンも同じような傾向がある。俺が貸してやったと、人の金で商売していることをすっかり忘れてしまう連中がいるのだ。
 何ともこういう心境にハマってしまう連中は本当に可哀想というか、人間としてどうなのかなと感じる。そういう立場も役割も全部とりはらった際にその人の魅力がどれだけ残っているのか。正直、スカスカな人ほどこういう傾向があるなと感じる。

 さて置き、まあ、そういう事だから、偉い気分になれるこういう環境は積極的に壊したくない訳で、文部省からいえば(アホな)政治家が(気まぐれで)言ってきた事を真に受けていては体が持たないとばかりに、いかようにでも解釈できる骨抜き条文を沢山仕込んだ法律を作ってしまって、それで文科省としては幾分のゆるぎもなく、旧国立大学をコントロールし続けると。そうやってまたいい気分にしてもらおうとしている訳だ。本当にお気楽というか暇な連中だ。

 ある意味で、論に合理性がありそうな話としては、あまりにも大学のレベルが落ちると大学卒というブランドというかが揺らいでしまうことと、経済原理に任せてしまっては本当にヤバい大学が出た際に、通っている生徒に不利益が生じる可能性もある。そういう状況を回避する為に、文科省が適宜適切な指導をしなければならないのだ、とする考え方である。
 結果として、こういうことをしているから、本来つぶれなければならない大学が残ってしまっているという現状もある。生徒には厳しいかもしれないが、それが現実だ。そういう大学を選んだ自分を恨むしかない。もしくは救済措置として近隣の大学に吸収すれば良い話ではないのか。学部が無いなどの話は在るかもしれないが、そういう完璧な移行を要望できるような状況ではないだろう。

 いずれ、そういう事だから、文科省は今すぐにでもこういう大学への過干渉をやめるべきである。そして、他の教育問題だとか、いじめだとかそういう問題の解消のような本質的な問題に時間を割いてほしいと感じる。
| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
死んでも許さん
 人口減少が叫ばれるのと同時に発生した高齢社会問題。当然ながら最終的にこれらの問題は人が死んでいくことで状況変化していく訳だが、そういう事にも非常に関連しているのが今回の話。

 こちらの記事をご覧頂きたいのだが、何でもイギリスで自分の夫の墓石に数独を入れようとしたところ、市役所が待ったをかけた、というもの。詳細については記事をご覧頂きたい。
 記事の内容としてはどっちつかづのスタンス。ある意味で中立スタンスを貫いているバランスの良い記事だと感じた。

 おばさんたちの言い分としては、数独を墓石に入れることのどこが問題なのかという話。決してデザインとしては奇をてらったものでもないし、むしろ地味目なくらいだ。
 ちなみに数独とは一体何じゃい、という方はコチラのサイトをチェック願います。かなり面白すぎて一日中やっていても飽きないゲームだ。何となく頭も使ったような気になるのだけれども、この数独をやり続けて頭がよくなるかどうかは謎。

 一方、市役所の言い分としては、こういうマークなどを入れる際には事前に市役所の許可を得て下さいと。今回のケースではまずこの許可が得られていなかったというのがポイント1。ポイント2としては、たとえ個人の石であっても、公共空間である墓地の景観というかデザインを個人の意思で大きく乱す事は許されないというもの。

 この話を聞いたとき、一番最初はなんだそりゃと。傲慢な市役所の職員にあたってしまったのではないか、何でも順番を大事にするというか、結局は責任を負いたくないために手順を複雑にした上に最終的には自分たちが責任を取らなくてもいいようにする流れをくむのに長けた役人度もの手口だなと反吐が出そうになったのだけれど、よくよく読み進めていったならばこれはデザインコードの話なのだと判明した。
 つまり、公共的な、あるいは共有の財産というのは全員の努力によって守られるもので、例えば、街のデザインなどは全くもってそのようなものであると。例えば、日本家屋の町並みを大事にしていこうみたいな地域に楳図かずお先生お家のようなものを建てようとしたとき、著しくそのエリアの価値を毀損しかねない、という話だ。

 アメリカの不動産物件で言えば、こういう管理はHOA(ホーム・オーナーズ・アソシエーション)がやっていて、かなり厳しく注意を受けるというか規約を破った時点で即訴訟になるようなかなり危険な感じらしい。これは、一人が勝手なことをするとそのエリアの価値が下がり、結果として自分が所有している物件の価値も下がるので、同じエリアに住んだら最後、勝手なことはさせない、という発想な訳である。

 この市役所職員の台詞がある意味ですべてである。

教会の墓地は、全ての人の利益のために、高い基準が維持されていることを認識する必要があります。どうか、墓石の碑文を、即刻ガイドラインに沿ったものに変えて下さい。」

 つまり、このガイドラインに従えないものは許さないという発想である。これがあるのであれば、致し方なしという感じもある。
 惜しむらくは、こういう派手なというか、他人なんか関係ねーみたいな人たちが集まる墓地もあって良いのではないか、という話。であれば、やりたい放題、代わりに税金は使えないから、皆の割り勘で墓守を置くことになって管理費は高いけれどデザインは自由、みたいな話しでどうだろうか。

 これだとあまりにも商売にならずに、商売自体が成立しないか。何とも悩ましい話だ。
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Panasonicも離脱
 新聞を見ていると何と、NECに引き続きPanasonicまでもがDocomo陣営からスマホ商品については撤退すると宣言したそうだ。

 詳細については記事を見て頂きたのだが、どうも完全にDocomoのツートップ戦略がお気に召さなかった模様。NECは、記者会見の際に、自分たちが魅力のある商品を市場に提供できなったのが撤退の大きい理由だと、それでも自責にして表現をしていたが、完全にツートップ戦略から外されて売上が低迷してしまった為、という事については、誰も異論がないだろう。

 さて、Panasonicについては、かなりハッキリとツートップ戦略のために売り上げが低迷した、というような表現をしている。結果として、Docomoがこの戦略を見直すのであれば再度、参戦することも示唆するという風。
 この発言をどう見ていくか、というところが非常に重要である。

 正直、このPanasonicの高飛車な感じはどうなのだろうかと個人的には感じる。いずれにしても商品力、もしくは営業力に勝る、ソニーエリクソン、そしてサムスンが2トップを勝ち得たのであって、Panasonicは負けたのだ。
 その点について、何の反省もこのコメントからは見えない。Panasonicとはそういう会社なのか。やはり天下の松下というブランドに胡坐をかきすぎてちょっとピントがぼけているようにも思うのである。

 実際、Panasonicは全体的に業績も悪化していて、これを何とかしようと躍起になって組織変更を頻繁にしているが、その辺も関係会社からしてみれば不信の種になっている訳で、早くその辺に気づいて、強いPanassonicとして戻ってきてほしいものだ。
 そのためにはすべての原因が自分たちにある、というスタンスに立たねば、こうやって人のせいにばかりしていては本当にPanasonicがなくなってしまう可能性すらある。

 それにしてもこのツートップ戦略は、他のメーカーからすれば本当に厄介な戦略だ。それこそ、一長一短、個性が強いスマホであればもう少しばらけるのだろうが、結果として消費者は最後はコスト。しかも機能がさほど変わらないとなればなおのことである。

 この調子で離反がどれくらい続くのか。Docomo、真剣に受難の時代である。
| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
NECは現代版五稜郭となるか その2
 という事で昨日に引き続き、このNEC離反のネタである。昨日はこの離反の原因とされている、Docomの2トップ戦略からCMの話で盛り上がった。

 その2トップ戦略だが、要約すれば他を切り捨てる「集中と選択」戦略だ。しかも選ばれたのは、ソニーエリクソンサムスンという、何でそこなの?という感じの2社。
 確かに他の携帯会社と比較した際にスペック的に良い製品を提供していたという話はあるのかもしれないが、何故ここが選ばれ他社が外されたのか。単にDocomoに対しての営業力の差なのだろうか。いずれ、日本のテイストと言えば、わずかにソニーが残るのみであとは海外勢という何とも訳のわからないチョイスに走って行っているのだ。

 そしてこういう記事もある。2トップ戦略が完全に失敗している、という記事だ。具体的には、こういう事だ。

1. 2トップ戦略発表後もユーザーがDocomoからどんどん離れている
2. 2トップとそれ以外との販売の格差が驚くほど開いてしまった
3. あてが外れたDocomoとしては、戦略の見直しをかけなければならない
4. 結局はiphoneに頼らざるを得ないのではないか

 という事だ。

 なんとも記事だけ見ると、2トップ戦略に入る前から十分に想定された内容なのではないか。ハッキリ言ってしまえば、Docomoは自分たちからユーザーが去っていく原因を分析し誤った、という事になる。
 端的に言えば、Docomoに魅力が無いのだ。商品数が多すぎてどれを買ったらいいか迷う。それはDocomo離れの要因ではない。高い携帯電話料金、そしてユーザーを無視したインターフェース。これら全てが問題なのであって、原因を自分の外に見つけ出そうとしている間はDocomoは復活できないだろう。

 そしてもう一つ、面白い話がある。何とNECがガラケーについては作り続けると宣言しているところだ。これぞ日本製パソコンPC9801を持って最後までDos/Vと闘い続けたNECの真骨頂という感じだ。
 そうなのだ、ガラパゴスでいいのだ。バッテリーが全くもたないスマホをいけてる感じで使おうとしているのだが、そんなに世界標準に迎合しようとしてその先に何があるのか。
 むしろ日本独自の発展をしてきたガラケーこそ大切にすべきものであって、われわれ日本人にピッタリ・フィットしているツールなのではないかとも思う。

 こうなればNECの旗の下のガラケー派は集まろうではないか。NECはスマホ維新の五稜郭だ。最後の最後まで徹底抗戦してやると固く心に誓うのである。
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NECは現代版五稜郭となるか
 朝からとても衝撃的なニュースが流れた。何でも、NECがスマホから撤退するという話である。
 個人的にはこのNECのニュースをNHKで聞くみたいな冗談みたいな朝である。

 詳細については記事をご参照頂きたいのだが、引き金になったのはDocomoの2トップ戦略。最近のCMでよく見る、黒と白の外国人がチェロをガンガンと弾いている光景はとても印象的だ。
 個人的にはこの外人たちが本当にチェロを弾いているのかという事についてとても気になっていた。はっきり、こんなイケメンがチェロをガンガンとやるみたいなシチュエーションに嘘くささを感じているのである。
 という事で、2トップ戦略はまず置いておいて、こちらのCMについて調べてみると何と意外なことが分かってきた。



 まず意外な事実1つ目。この2人は何と誰かが演奏しているものにモデルを映像的に充てているのではなくて、実在するユニットなんだとか。こちらのNaverまとめやこちらの個人ブログでもこの話題が取り上げられている。
 ユニット名はその名も2CELLOS。何ともかっちょいい感じ。2人はクロアチア出身との事。なんとも東欧系のイケメンという事が判明した。

 そしてもう一つ。このイケメンたちが弾いている曲であるが、何と布袋寅泰先生の楽曲だったのである!!
 調べてみて分かったこのガツン系のコラボレーション。コラボレーションでいえば、サッカーの本田と渡辺謙さんとのコラボレーションもこれまたかっちょいい。
 つまり、こういうリサーチしてみたくなる程度に訴求力がある宣伝をガンガンと流しているDocomo。イメージ戦略的には全く他社に後れを取っていないようにも見えるのだが。

 思いのほか長くなってしまったので、明日へ続く。
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サントリーはM&Aへ
 久々の大型上場ということで大騒ぎになっていたサントリーであるが、こちらの記事をみているとサントリーの思惑は今後のM&Aにある、という話だ。
 詳細については記事をご覧いただきたいが見事に海外展開の事業意欲を語っている。どんどん行ってくださいという感じだ。

 サントリーと言えば個人的に思い出すのは、「蝦夷の熊襲」発言。あれには本当にビックリした。正直、サントリーというナショナルブランドの会長が大阪商工会議所の会頭として発言した内容だから、これは更に更にショッキングだった訳である。

 結果としてあれは何だったのだろうか。しっかり今でも不買運動を続けていきたいのだ。結局のところ消費者なんてすぐに忘れる。何しろ文化度が低い東北の熊襲の連中だから、と言われたのではかなわないのだ。

 ちなみに、東北は熊襲ではなくて蝦夷。この辺の学の無さも一緒に露呈してしまった形となって本当に恥ずかしい限りなはずなのだが、当の本人、佐治敬三さんは結局頭を下げたのかどうか。全く見えてこない。
 サントリーホールだ何だと札びらを切ってやっていたのが、本当に上っ面だけだった、というのが見透かされた本当に悲しい話だ。

 そういう観点でいえば、この佐治さんのDNAを持ったサントリーが世界に向けていくのだからおおよそ気を付けた方がよいであろう。何しろ、世界の連中は東北ほど温厚ではないし、その歴史的な経緯からいってもこういう発言に対してはとにかく手厳しいからだ。

 ましてやこういう様々なカルチャーを認めない一辺倒なものの見方しかできないような方が会長を務めていらっしゃった会社が、世界を相手にM&Aしていくというのだからどうぞ、「やってみなはれ」という感じだ。

 まあ個人的に別の選択肢がある場合はわざわざサントリーは今でも選ばないし、これからもサントリーを選択することはない。それだけあの軽口の罪は重いのである、
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いよいよ来たか 山田線BRT 再提案へ
 粘着質に沿岸のBRTの動向を追っている本ブログであるが、また新しい動きが出たようだ。何でも、JR東日本がBRT化で再提案を行うというのだ。

 正直、このチャンスを逃せば、交渉決裂でもう二度と同じような条件提示はないかもしれない。つまり、はっきり言えば、この縦のラインが失われる可能性がある、ということである。

 再三、この件については話をしてきているが、JR東日本が民間企業である以上、社会的責任うんぬんはともかくとして、どう計算しても儲からない事をやる必然性は全くないのだ。
 ましてや、五分五分ぐらいの確立でうまくいくかどうか、くらいのビジネスチャンスならいざ知らず、始めれば赤字確定、しかも復旧するのにも莫大なお金が必要となる鉄道を誰が復活しようとするのか。

 たとえばだが、そこまで自治体が鉄道での復旧にこだわるのであれば、JR東日本が所有している線路、駅について、低価格で関連自治体に貸与するのはどうか。自治体は広域事業体を作ってこれを運営するのだ。
 一点、間違っても県はこの広域事業体には参加してはいけない。なにしろここで仮に赤字が出るのであれば、県民全体で負担しなければならなくなってしまうからだ。
 受益者負担の原則で突っ張って関連自治体がお金を出し合って、広域事業体を作ると。いわゆる第三セクターになるのだろうか。いや違うな。公営、ということになる。

 この広域事業体が、JR東日本から施設を借り受け、JR東日本に運営を委託するでもよい。当然、復旧にかかわる部分は、この事業体が支払をする。つまり、関連自治体=地元の人たちの税金負担によって実施される、という事になる。

 当然、計算をすればこれが丸々赤字路線になることは確定している、つまり運営コストに対して利用者が少なすぎる、輸送量も完全にオーバースペック、近所のコンビニに、最高潮に燃費の悪い巨大な車で買い出しに行くようなものだ。

 JR東日本はここまで言われているのにあえてBRTの提案をした、というところ、自治体が折れることができる最後のチャンスだと思う。それだけJR東日本も地域再生を真面目に考えて、自分のところの利益と地域再生の両立をそれこそ真剣に考えた結果のBRTなのだ。

 少なくともしっかりと聞いて、比較するなどそういう姿勢があってもよいのではないか。結局現状のままではこの交通路はいつまでたっても復旧しないのだから。
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