Page: 2/2  << 
あなたは何がしたいのか

 先日、盛岡のおでってに入っているテナントが賃料を不払いしているという話が新聞に掲載されていた。
 話としては、3店舗で回りの相場よりも安い賃料で借りている3店舗について、経営が思わしくなく賃料を滞納している、その額は1千万円を超えているという事だ。盛岡市役所は支払ってもらえるように督促を続けるという事だ。

 正直、この話はあまりにもオカシイ。まず、家賃を滞納するほど儲けられていないテナントなのだから、事業者としては即、潰して撤退するのがセオリーである。しかしそれをしていない。当然ながら、滞納というレベルまで行くには経営が芳しくない時期が続いたうえでそのようになっていく訳であるから、そう考えると、撤退を経営判断するタイミングはいくらでもあったはずだ。
 それが為されていない、という事を普通に考えれば、出店していなければならない理由があるのではないか、という事になる。

 例えばこういう仮定ではどうか。市役所がむしろ事業者側に出ていかないでくれと泣きついていたと。単純にロケーションを考えてこの地代でまともな事業者が入居してくるとも思えない。
 ハッキリ言って、公共施設の営業時間に飲食店の営業時間が引きずられて本来お金を一番稼がなければならないところが営業できていない、例えばCMなども公共施設という事で、そんな民間みたいな事は許しません、みたいな誰が聞いてもそりゃ失敗するわな的な縛りがあれば尚の事、そんな事であればわざわざお金出してまで出店する理由など無いです、という事になる。
 つまり、赤字まで出してそこまでしてもお付き合いしていた、という可能性もあるのではないかと。
 もう一歩踏み込めば、まず賃料の事は何とかしますから、滞納扱いで結構ですから、テナントを続けて下さいという裏約束があった、等も考えられる。

 加えて、これも仮定であるが、一方ではおでっての使用率は悪くなかったという事を考えれば、啓太リングサービス、弁当など、館内利用の縛りをつけてしまっても良かったのではないか。こういう話になってくると、今度は公平性みたいな訳の分からない行政特有の幻想が出てきて、だから一社に独占的にお任せする事は出来ない、みたいな話になっていたのではないか。

 いずれ、これら仮定の話のいずれかでも当たっていたとしたならば、およそまともな営業はできないだろう。これを何とかいびつな形でも自分が担当のうちは空きテナントなど作らないでくれ、異動したら辞めても知ったこっちゃないみたいな事で、続いてきたというのが本当のところなのではないか。

 この辺の本当かウソかという話は調べようもないので何ともなのだが、一番はこれを取り上げた新聞たちである。特に読売新聞の記事は、何か読売新聞特有の身勝手な正義感が溢れる記事になっていた。あの記事は一体何なのだろうか。例えば、これを世間に公表して誰が特をするのだろうか。
 本当にそういう意味でメディアは無責任だ。マッチポンプも甚だしい。それまでの様々な積み上げを無視して、騒ぐだけ騒いで、引っ掻き回した挙句、じゃさようならと。お陰で巻き込まれた方は人生までおかしくしてしまう人も出かねないという状態だ。

 世の中というのは、新聞屋の思い描くような身勝手な正義が通るようなそういう単純な世界ではなく、ちょっとだけ複雑なのだ。せめて頭を使ってそれくらいは気が付いてほしいものだといつも感じる。

 そして、結局はいい人がバカをみるような結果が仮にあるとするならば、それは真に許してはいけない状態なのではないか。公金を支払っていませんと。これを税金で補てんしますスイマセンと。これは誰かの面子を維持するために様々と無理な事をしてきた結果なのではないのか。

 いずれにしても、事は単純ではないというような気がしてならないのだ。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
予算が無いから何もできないというのは本当か
 先日とある研修会に出席したのだが、その会の中でとても気になる言葉が連発されていた。それは「予算がありませんので」というものだ。

 最初に聞いたのは、予算が無いので参加人数を減らしました、というもの。基本的にその研修会は参加費が掛かるのだが、それは懇親会の代金。ここで言っている予算というのは、自分たちの移動費の事である。
 というのも、この研修会は各県を代表して開催地に集まるという事で、参加は会の公務という事になるから、旅費が出る。お金が沢山あった時代はこのお金を使って沢山の人数の方が研修会に参加していたのだが、昨今はお金が無いので一人出来ました、というような話だ。

 その次に聞いたのが懇親会の席。実際は会費実費を各人が支払っているのでこの点で予算が無いという話は無いのだが、出てこないのは余興の費用だ。以前は余興の費用も潤沢にあったので、地元で大変有名な演奏家などを呼んでこれを鑑賞したりと、ちょっとしたプレミアム感もあったのだが、今回の企画は特にないのでひたすら飲んでくださいとの事。

 これらの話を聞いていると先ず、参加の方に関して言えば、旅費が出なければ来ないのか、という話がある。当然、様々と勉強したいのであれば、自腹を切ってでも様々と勉強するであろうし、それくらいの気合があった方が何かを得ようと頑張るものだ。補助でお金をもらって参加する研修など、早く終われと思うばかりで、結局そういう人間で満たされた会場の雰囲気はポジティブになりようがない。であるから、そういう事ならそもそも参加するな、という気分になる。

 懇親会については完全に思考停止状態だ。金が無いのならば無いなりに何か考えられなかったのか、と感じる。実際、確かに金があった時代は様々と予算の中で企画した訳だが、無いならないなりに考えて何かできたはずである。それを基本的に予算が無い=何もできないという方程式の中で、結局何もしなかったというのは何とも情けない。
 先ほど、旅費の件では自腹くらい切れという話をしたわけだが、自腹を切らずとも時間を割いて参加している参加者に対して、あまりにも何も提供できていない状況ではないか。これでは盛岡の印象がどんどん悪くなってしまうではないかとヒヤヒヤした。

 あまりにもおかしいので原因について調べてみたところ、どうも東京の本部の仕切で、岩手の事務局は殆ど機能していなかった模様だ。これではいかんだろうと。開催地として様々とおもてなしの心を予算が無いのであれば知恵を使って何か仕掛けるべきで、何もしなければ、逆に、盛岡で開催する必要があったのだろうかという話にもなりかねない。

 改めて振り返ってみると、この話のみならず、お金が無い=思考停止ってのは結構散見される例である。これではいかん。基本的にお金は無いものという前提で、そこからどうするか、という訓練を日々積んでおかないと、精神的にも、知恵的にもきつい。これは商売においても同じであろう。

 と書いてみて、結構これは人のふり見てなんとやら、の話であるなと感じた次第である。苦笑
| kulo. | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
そんなに税金あげたいか。
 今月は何かとバタバタしていてほとんど更新なし。正直、仕事でやっていたときはそうもいかなかったのだけれど、個人でやるってのは気楽なものだ。

 ということで久々の更新なのだけれども、最近の話題といえばやはり増税の話。民主党内では党内でも意見が分かれているそうだが、一方でなぜか自民党がすりよっているというわけのわからない構図。

 しかしそんなに増税が好きなのかといいたくなる。増税すると決まったらいったいどうなるのだろうか。やはり買い控えみたいなことが起こるのだろうか。前回の3%から5%の時は、大きい買い物の駆け込み需要というのがあった。今回は5%から10%ということで、絶対に駆け込みが起きてそのあと底冷えみたいな話なのだろう。

 増税と一緒にやるといっていた社会保障の改革は一切手を付けず増税だけやると。国民もバカではないから、税金のほかに年金やら健康保険やらで国から搾取されているのをわかっているのだけれど、これを様々と散らされてるので何となく認識が薄くなってしまう。

 であるからして、是非、かつ上げ分はまとめて払わせてほしい。それに対して国がどうだ、という議論をしていかないと、ごまかしみたいなことを続けていてはまったく意味がない。

 今回の政治家の動きをみていると、結果としては政治家ってのは官僚に抱き込まれるのだなと。それではまったく政治家の意味がなくて、いっそうのこと政治家をなしにしてしまったほうが、官僚の自浄作用が働くのではないかと思えるほど。

 いずれにしても何ともな話だ。マニュフェストでうかった民主党がみずからマニュフェストを放棄する。これはもう救いようがない。せめて次回の選挙では徹底的に野次っておちてもらうしかない。
| kulo. | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
だったらやらなければいい
 今日、リーダーでRSS配信を見ていたところ、とても気になるというか、頭にくる記事が掲載されていた。だからフェイスブックは利用しないと題されたその記事は見ていて本当に吐き気をもよおす程度の内容であった。

 まず何がひどいかというと、一方的にFacebookはNGみたいな話をしておいてから、自分は人の意見を聞くのがいやだ、みたいな話をして、ミクシーもしたけれどあきたみたいな事を書いている。

 個人的にこの記事が頭にくる理由

1. 筆者がFacebookをどう思っていようが知ったことではない。
2. いやならFacebookしなければ良いだけ。わざわざ文章書いて何がしたいか。
3. ミクシーで十分とあるが、匿名性を保持したところでのコミュニケーションがどれだけ価値があるのか。
4. 結局は自分が考えている事を発信したいだけで、他人の意見を聞く気は無い感じ。
5. しかも匿名性を隠れ蓑にしてセーフティな立場から言いたいことを言いたいと言い切ってる。

 素人ならまだ百歩譲って許せる。問題なのは、これが文章を書いて飯を食っている人間の文章である、という点だ。

 この無責任さは何なのだろうか。匿名で、かつセーフティな位置で言いたいことを言う。批判は聞きたくない、人かの意見は聞かない、なんと閉鎖的なのだろうか。
 個人的に問題だと思うのは、この筆者のメンタリティのみならず、こういう風潮がどうも日本のメディア界にはびこっているのではないか、という不安があるためだ。

 健全な批判にもえら得ない文章を世の中に出すなと。しかも出す以上は文章内容に責任を持て、といいたくなる。
 もし自分が言いたいだけで、他人からの意見を聞く気が無いのならば、誰も頼んでいないんだから、頼むから文章を書かないでほしいと。有名人ならいざ知らず、あなたが考えている事なんて、誰も興味が無いのだから、と念を押したくなる。

 本当に不快な文章っていうのは世の中にあるものなのだなと。と、この文章の筆者が好きな匿名、セーフティな場所から、言いたいことを一方的に言ってみる事にする。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
LLな状態

 仕事以外のコミュニティってのは世の中にはそれこそ星の数ほどある。最近ではjリアルなコミュニティに加えてvirtualコミュニティもその存在感を増してきている。

 そういうコミュニティにこの年にもなれば何個かは属している訳だが、やはり仕事と違ってその人の性格というかがモロに出てくる。当然、みなお金を貰ってやっている訳ではないので、ある意味でわがままにある意味で露骨になるというところだろうか。
 そんな中でもキッチリやりたい、生産的にやりたいという人は本当にウェルカム。余暇活動なので不要なストレスを感じないように、サクサクとスピード重視でやるなどという方は、本当に大歓迎である。
 一方で御免こうむりたい方もいらっしゃるのである。特に困るのが、レスポンスが遅い人。これは本当に困る。仕事できる、できないの前に、そういう方を見ていると売る事はあってもその人から買う事は無いなと心に固く誓う。

 見ていて頭にくるのは、そういう人たちは電話なんかには出たりして、どうだこうだと言い訳をする。そういう言い訳ができないように、こちらが事務局サイドにいる場合は、年初に開催スケジュールを全部決めてしまって、おおよそ冠婚葬祭以外の用事は入れるなよとばかりにプレッシャーをかけていくのだが、そういう人たちは平気でこの合意事項を破って、ドンドンと予定をバッティングさせる。
 加えて、出欠は遅い、こちらから連絡すれば言い訳するもしくは電話にも出ないと本当に散々である。これで社会的な信用、仕事になればしっかりしますなんて話は信じろって方が無理でしょうと。

 一番はこういう状態になりそうなのであれば、全力で役割を拒むべきだ。何しろ自分は自信喪失して常にイライラする、周りは周りで何であんな奴にお願いしてしまったのかと後悔する、これでは、最近はやりのWinWinならぬLoseLoseだ。これは本当に避けなければならない。
 厄介なのは、こういうLLな状態になった際に「じゃあ、お前もういいよ。」と言えないところ。なにしろ金払って雇用しているのなら、ファイヤーして終わり(どうも日本では一旦雇用したら解雇できないような話になっており、それでは雇用自体が減るだろう、という事にすら気づかない愚かな連中が目先の得票に目がくらんで、それこそ目も当てられない状況になっているようだが)なのだが、こういうコミュニティの活動ってのはそうもいかないのである。

 結果として、作り笑いが横行するわけだが、最終的には信頼関係があって笑ってその人を許せるかどうかみたいな話になる。大方はそれでチャンチャンで済むのだが、中にはそうでない人もいる。これらは本当に仕事で挽回なんて機会すら回らない程度に信頼を失っているって事も気づかないのだろうな。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
アスリートの本って何だ?
 本のジャンルに、アスリートが書いた本というのがある。当然、オリンピックイヤーであるとかワールドカップなんかが開催される年についてはこの機を逃すなとばかりに出版社も書店も一押しみたいな話になってくる。

 私個人として、現役選手が書いた本というのは殆ど読んだことが無いのだが、唯一読んだと言えば、ストイコビッチ現名古屋グランパス監督の本である。正直かなり痺れる内容である。世界のピクシーと言われたストイコビッチ選手は将来を嘱望されたスター選手だったのが母国の内戦の為にサッカーキャリアを滅茶苦茶にされてしまう。
 結果としてヨーロッパでも本来の実力以下の処遇状態となり、決意して日本へ。それが名古屋グランパスに来たピクシーなのである。
 当時はピクシーの来日はそれほどニュースにならなかった。ハッキリ、ムダ金だったリネカー選手の方が相当に騒がれたという記憶がある。確か、デビューから二試合目だっただろうか。当時ジェフユナイテッドとの一戦でひどい雨の中での試合だったのだが、リフティングで何十メートルもボールを運び、ディフェンスをヒラリヒラリとかわしていく選手がいて、誰だこりゃ、と思ってみていたら何とピクシーであった。ウソだろと。何でワールドクラスの選手であるピクシーが島国のJリーグにいるのだろうか。正直、ピクシーが日本に来ているのを初めてこの報道で認識した私は、様々な衝撃を受けた訳である。正直、それまではJリーグなど見る価値も無いとバカにしていたのだが、初めてなJリーグが楽しみになった瞬間でもあった。



 その後、ピクシーはご存知の通り、名古屋グランパスの監督になってリーグ優勝を果たすことになるのだが、個人的には何でワールドカップで他の強豪と互角以上に渡り合えるスーパースターのピクシーが何で島国の弱小リーグに来たのだろうか、ということについてずっと疑問があった。その疑問に答えてくれたのが、この本であったのだ。

 正直、最近の日本人アスリートの出版を見ていると、こういう人生がにじみ出るような内容になっているのか甚だ疑問である。何が書いてあるのか自分の目で確かめる事無く発言するのは反則とも思うが、一体どういう目的で書かれて誰が読むのか、さっぱり訳が分からない。
 出版社としてもそういう節操のない書物を世に出してしまって本当にいいのだろうか。一時のネームバリューに便乗する形で出版部数を伸ばし、荒稼ぎする事で、他の日が当たらないけれども価値のある出版物を出し続けるためには必要なのだ、など、経営戦略上どうしてもやらなければならない、というような側面があるのならば、そういう理由があるのならばとても納得できるのだが、どうもそうでも無いような気もする。
 つまり、知をその産業の根源としている出版業において、知を使わないようなゴミ本がただ作られ何となく売れてそれで満足しているのではないか、という不安があるのだ。
 話題性がある=売れる=本を書く、という図式はあまりに安易すぎないだろうか。そういう浅い戦略が受け入れられる薄っぺらい21世紀ではあるのだけれども。

 しかし、もう小銭稼ぎが染みついてきている出版社に自浄作用を求めたところで限界があるか。むしろ、出版を検討してる選手へ。現役選手が本を出版してそれが売れて印税を稼ぐ。君たちは一体何のプロなんだ。
| kulo. | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
Facebookの仕様が変わった?
JUGEMテーマ:facebook
 
 最近は他のソーシャルツールを置いておいてもっぱらFacebookを利用しているのだが、本を読んだときに極力、紹介をするようにしている。

 理由としては2つ。1つは、私自身そうなのだが、友達が書いた書評を読んで新しい本を購入する事もしばしばだから。本はそれこそ星の数ほどあるので、どの本が自分のニーズに合った本なのかというのを見極めなければならない。それこそ、ジュンク堂にでも行って長い事立ち読みでもしていればそのような本に出会う可能性もあるのだろうが、これではかなり時間が掛かってしまう上に、寄り道が多くて散財してしまう可能性もある。
 ついては、友人の紹介で勧められた本というのは案外と良質な情報にアプローチできる有力な手段の一つと実感している。

 もう1つの理由というのは、漫然と本を読まない為。発言することが分かっていればもうすこし真面目に話を聞いたのに、という経験をお持ちの方も多いと思うのだが、その手の話。Facebookに自分でコメントを書き込むというプレッシャーを感じながら、どこをどのように紹介するのが一番良いだろうかと考えながら読み進めるので、ただダラダラと読み進めるという事も無く、大変良いと感じていた。

■集中して本を読む図
読書

 加えて、もう一つ重要な要素がAmazonのアフィリエイトと連動しているという事。これは非常に重要だ。本を勧めようというインセンティブになるし、どれくらいの人が自分の勧めた本に興味を持ってくれただろうか、というバロメーターにもなる。結果として実入りとしては全くたいした事がないのだが、それでも0円よりはモチベーションになるというものだ。

 この仕組みは誰にとってもプラスである。まず書評を書いている本人はAmazonから紹介料を貰える。Amazonは売上、利益、Facebookは投稿記事が増える=ソーシャルメディアとしての価値が上がる、という事だ。
 懸念される事項としては、これをやり過ぎてしまうとやたらめったら商品をガンガン勧めてくるような人が現れる可能性がある事。しかし、これとて実名、顔だしのFacebookからすれば、やり過ぎはリアルな友達を失う事と直結しているので、自制心が働くのである。

 ところが、昨日くらいからなのだが、今まではAmazonのURLを張り付ければ本の画像を勝手に読んできてくれたのだが、これが読み込まなくなった。Facebookはビジュアルコミュニケーションな訳だから、この辺のビジュアルがしっかり表示されるというのはとても大事なことだ。
 これが表示されないとなると、リンク先は正しくても意味が無い。非常に困った状況である。

 最初は勝手にURLが置き換えられていて、それでリンクがうまく成立していないものと思われたのだが、本日、ダミー投稿をして調べてみると、どうやらリンク自体は問題無い、つまりアフィリエイトIDを含んだ形のURLのようなのだが、商品画像を読み込めていない。
 これでは何の商品を紹介しているのか、自分で書かなければならない上に、無駄に文章が増えて紹介文の切れが損なわれる。

 しかし、気まぐれに何で昨日から突然そうなってしまったのだろうか。Amazon側なのか、それともFacebook側なのか。いずれにしても、読んだ本の記憶がはっきりしてるうちに早く復活してほしいものだ。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
神の見えざる手が見えない
どうやら今回の盛岡市議会選挙は過去最低の投票率だったようだ。記事では原因分析を行っているのだが、中々歯切れの悪い記事になっている。

個人的に原因を考えてみると、
1.盛岡市長が無投票で決まってしまって何か盛り上がりに欠ける
2.結局、市議会議員は公約を掲げても実現できるポジションではない
3.したがって自身の利益と直結しないので存在意義を感じない
4.職業政治屋ではないが、給料が欲しい為に行っている就職活動に見える
5.魅力的な候補者がいない

の5点ではないだろうか。

1.については致し方なし。現職が一枚も二枚も政治屋さんとして優れていたという事だろう。

2.は議員発議の提案でもしない限りは自らの政策の実現などできない訳である。
  ○○をやります、といったところで結局は担当部局に言ってやったというのが関の山で議員発議の条例などつくろうという機運も感じられない。何しろ盛岡は有史以来、議員発議条例が1本しか出ていないのであるから。

  上記の現状を鑑みれば、盛岡における議員の主張というのは、議会でこういう考え方を元に投票行動をとります、ですから似た考えの方は私に投票をしてください、という事であって、政策実現云々の話では無いだろうと。その辺に議員への無力感を感じているのではないか。

3.上記のような状態であるから、結局自分の損得と議員という存在とが全くリンクしない、ついては、誰がやってもやらなくても良い、というスタンスに自然なってしまう。

  これが、例えば地区で何か欲しいものがあって、代表を出して予算をぶんどってきます、とか、より具体的に言えば、桜山問題などの際に住民の意見を議会に反映させるチャンネルとしての、まさに住民の代表が必要、と真にエリアの住民が考えるのであれば、自然、そういう方々には票は集まるのではないだろうか。

4.説明不要。他国の事例を見れば、無報酬でやっているところも多い。盛岡も是非、そうすべき。
  無報酬にすると、政治に打ち込めない、お金を持っている人だけがやれるようになる、という批判もあるが、それは言い訳である。そういう条件のもとでうまく運営できる環境やルールを作っていけばよいだけの話。

  例えば議員は忙しいので、上記のような状態だと議員がやらねばならない仕事の全てにてがまわらなくなる、という事であれば、単純に議員数を増やして負荷分散すれば良いだけの話ではないか。むしろ、そういう負荷であれば市政に積極参加したいという逸材が盛岡市民にはまだまだいるのではないか。

  いずれ、議員定数の削減云々などの議論もあるが、無報酬にしてしまえばそういう議論もなくなる訳である。まず無くしてから考えてほしい。

5.ノーコメント

以上、私が原因と思う5点についての説明。

あと、顕在化している投票率激減の問題について考えてみる。投票率だけ上げるのであれば、PCや携帯電話からなどオンラインの投票を可能にすればすぐに上がるのではないか。
現有の技術であれば、全く可能な話だ。浮動票がそんなに怖いのだろうか。予算を言い訳に逃げるのか。人気投票ではないと開き直る議員もいるが、選挙ってのはそういう制度なんです。
なりふり構わないという事であれば、選挙の箱に紙を入れた瞬間に自動で抽選が始まり、当たると2千万円出しますと。こうすれば一気に投票率はアップします。

という事で、一言で言えば、住民側に選ぶ需要が無いのに供給ばかり多いというのがこの問題の本質だろう。ためしに、議員を5人くらいにするとか、無報酬にする、など、何かしら対策を取らない限り現状は変わらないだろう。

どうだろう、先に住民に必要な議員数を決める予備投票(アンケート)をして、その後、代表を決めるという二段構えにするというのは。まさに需要と供給が一致してくる訳で、こうなれば神の見えざる手も見えてくるというものだ。必要数0になったらどうしようという現実的な懸念はあるが。

受給曲線
| kulo. | 09:59 | comments(0) | - |