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メディアとメダル

 さて昨日は上村愛子選手の話になったので、そのままの勢いでもう一日取り上げたい。

 やはりこの滑り終えた後の、多分ソチで書かれたであろうこのエントリーは本当に感動だ。一生懸命競技に打ち込む事、しかしその打ち込んでいくプロセスには多くの人のサポートがあって実現できるという事、結果を出さなければならないという戦いから自分との戦いまで昇華できた事、そしてこれらのチャンスを紡いで様々なモノを引き寄せてまた新たなものを生み出していくような、そういう素敵な力がオリンピックにはあるのだ、という事。
 
 正直、ブログというメディアが発達してくれて本当に嬉しいと感じる瞬間でもある。何しろ選手本人の言葉に私達は直接触れる事ができるのだから。これは誰かが聞いて編集した言葉でも、誰かが聞いたという話でもなく、選手本人が語っている、そういうピュアな存在なのである。
 この文章は本当に今からオリンピックを目在してく子供たち、そして現役の選手でメンタルコントロールに苦しんでいる選手など、様々な方に読んでもらいたいと感じる。

 特にも個人的に共感というか感動したのが、上村選手がメダルに果てが届かなかったけれども、自分の力を100%出し切れたのだから、とても清清しい気分だ、という件だ。
 つまり、4位という結果はあくまで一つの側面から見た結果であって、自分との勝負に勝ったというか、そういう100%自分の力を出し切るという事について、一生懸命トライをして準備をして、それがソチ・オリンピックという大舞台で発揮できたと。本当にこれほど素晴らしい事は無いと思う。

 メディアは残念、と簡単に言うがそういう一方的な価値判断でよいのか。そもそも、誰がメダル至上命題みたいな話をし始めたのか。確かにメダルは分かりやすい。相対評価で頂点だという事もわかる。だけれども、2020年のオリンピックが決まって、本来的に日本人が持たなければならないスポーツに対してのマインドというのは当に上村愛子選手が示したものなのではないか。

 メディアは大枚をはたいて番組を買う。そして視聴者をメダルだメダルだ、可能性があるといって煽りに煽って、最後、結果が出たらそれは選手のせいだと。もうこの時点で視聴率が取れているからOK、期待の選手であれば、ここから後おいで更に付回して結果がよければわっしょい、だめなら、何でだめなんだとなじる。これだけである。全ては金の為なのだ。

 そして、このメディアの金のためにつくられた物語の上に我々アホな日本人はまんまと乗ってしまっているのである。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
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