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しがみつきJAPAN 大学教授編
 昨日の続き。思わず長くなってしまったので後半戦は仕切りなおすことにしたい。コチラの記事に書いてある通り、旧国立大学時代のフォーマットから抜け出せきれない連中、これはえてして既得権益にしがみついている可能性が高いとされる連中なのだけれど、その中でも今回の記事の代表格としては、文科省と教授だ。

 記事によれば学長がいくら志を持って改革に臨もうとしても教授会の意向と違う場合においては、そのアイディアは消されてしまうということらしい。また、この一文が非常に気になるのである。

”能率を重視するビジネスマンは、企業経営と比べると、大学の経営など見ていられないという。現実的な政治家は、短期的な視点で性急に改革を迫ってくる。教育の世界に生きているわれわれは、確かにその通りだと思うところが少なくないのだが、本心では、企業家の効率主義や政治家の現実主義よりはもっと深いところに、大学と教育の本質があると信じている。”

 はっきり申し上げて、そのもっと深いところにある大学と教育の本質というのは一体何なのだろう、という話だ。結論としては自らの既得権益ではないのか。当然、非効率な点については効率化さるべきだ。正直、政治家に関して言えば自分の票のことしか考えていない訳だから考慮するほうが間違いというもので、しかし、大学経営を考えていく上で外部から金を引っ張ってきてしっかり自立した経済を成り立たせるというのは非常に大切なことだ。
 子供じゃないが、結局はこの経済の独立性が果たされていないと、誰かの言いなりにならなければならない、これは進んでその道を選択するということではなくて選択せざるを得ない、ということになる。
 場合によっては学長はプロの経営者でも良いのではないかと思う。ビジネスモデルをもう一度しっかり検討して、単体でしっかり利益をあげ、まっとうな経営ができるようにするのだ。教育や学問の研究は金じゃないんだ、という連中がいるが、そういう連中には給与、研究費を一切与えなければよい。それでよいのだ。所詮は社会に存在している以上、経済性の中からは逃れられない存在なのである。

 であるからして早いところ割りきってしっかり稼いでいく為にはどうしたらいいのか。真剣に考えたほうが良い。その中でどれだけ理想とする教育が実現できるのか考えればよいのだ。
 昔のことを思い出せばよい。金が無い人は学校などいかないで働いていたのだから。結果として、この辺の順番が曖昧になってしまった社会から逸脱した連中が既得権にしがみついて巣食っているのが大学、ということであるならば、経済原理にまかせて早々に潰れて貰った方が世の中のためだ。真に経済性のある研究開発であれば企業で十分実施できる。
 ハッキリ言って、大学や大学の先生の学問に対しての志を否定しているのではない。ただただ成果も出さずに役職だけで飯を食える時代ではないのですよと。その辺、世離れしないように、まずは補助金をゼロにして、あとは各々稼げと。そうして普通の企業というか経済性の中に身をおいてはいかがですかとそういう話なのだ。

 誰しもがぬるま湯の中は心地が良い。そういうものなのだ。しかしそのぬるま湯が枯渇しようとしている訳で、尽きればあとはお湯は冷めていく一方だろう。
| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
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