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死んでも許さん
 人口減少が叫ばれるのと同時に発生した高齢社会問題。当然ながら最終的にこれらの問題は人が死んでいくことで状況変化していく訳だが、そういう事にも非常に関連しているのが今回の話。

 こちらの記事をご覧頂きたいのだが、何でもイギリスで自分の夫の墓石に数独を入れようとしたところ、市役所が待ったをかけた、というもの。詳細については記事をご覧頂きたい。
 記事の内容としてはどっちつかづのスタンス。ある意味で中立スタンスを貫いているバランスの良い記事だと感じた。

 おばさんたちの言い分としては、数独を墓石に入れることのどこが問題なのかという話。決してデザインとしては奇をてらったものでもないし、むしろ地味目なくらいだ。
 ちなみに数独とは一体何じゃい、という方はコチラのサイトをチェック願います。かなり面白すぎて一日中やっていても飽きないゲームだ。何となく頭も使ったような気になるのだけれども、この数独をやり続けて頭がよくなるかどうかは謎。

 一方、市役所の言い分としては、こういうマークなどを入れる際には事前に市役所の許可を得て下さいと。今回のケースではまずこの許可が得られていなかったというのがポイント1。ポイント2としては、たとえ個人の石であっても、公共空間である墓地の景観というかデザインを個人の意思で大きく乱す事は許されないというもの。

 この話を聞いたとき、一番最初はなんだそりゃと。傲慢な市役所の職員にあたってしまったのではないか、何でも順番を大事にするというか、結局は責任を負いたくないために手順を複雑にした上に最終的には自分たちが責任を取らなくてもいいようにする流れをくむのに長けた役人度もの手口だなと反吐が出そうになったのだけれど、よくよく読み進めていったならばこれはデザインコードの話なのだと判明した。
 つまり、公共的な、あるいは共有の財産というのは全員の努力によって守られるもので、例えば、街のデザインなどは全くもってそのようなものであると。例えば、日本家屋の町並みを大事にしていこうみたいな地域に楳図かずお先生お家のようなものを建てようとしたとき、著しくそのエリアの価値を毀損しかねない、という話だ。

 アメリカの不動産物件で言えば、こういう管理はHOA(ホーム・オーナーズ・アソシエーション)がやっていて、かなり厳しく注意を受けるというか規約を破った時点で即訴訟になるようなかなり危険な感じらしい。これは、一人が勝手なことをするとそのエリアの価値が下がり、結果として自分が所有している物件の価値も下がるので、同じエリアに住んだら最後、勝手なことはさせない、という発想な訳である。

 この市役所職員の台詞がある意味ですべてである。

教会の墓地は、全ての人の利益のために、高い基準が維持されていることを認識する必要があります。どうか、墓石の碑文を、即刻ガイドラインに沿ったものに変えて下さい。」

 つまり、このガイドラインに従えないものは許さないという発想である。これがあるのであれば、致し方なしという感じもある。
 惜しむらくは、こういう派手なというか、他人なんか関係ねーみたいな人たちが集まる墓地もあって良いのではないか、という話。であれば、やりたい放題、代わりに税金は使えないから、皆の割り勘で墓守を置くことになって管理費は高いけれどデザインは自由、みたいな話しでどうだろうか。

 これだとあまりにも商売にならずに、商売自体が成立しないか。何とも悩ましい話だ。
| kulo. | 08:00 | comments(0) | - |
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