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イオニストってなんじゃい!

 調子に乗って関連ネタ3日目である。やはりどうしてもイオンの事となると時間をかけて対応したくなるのは致し方ないところか。

 コチラのブログでは「イオニスト」という言葉を紹介している。何でも一日中イオンにいる、という人たちの話なのだそうだ。
 この記事を読んであまりにも気になったので、平日営業で市内を回っていた際に、近くに行ったので昼食を食べる体で中にフラリと入ってみた。まず感じたのは駐車場が空いていないという事。平日の決して暇ではないビジネスタイムなのだが殆ど駐車場が空いていない。郊外店は駐車場が近くにあるからいい、みたいな話をする人たちがいるけれど、それは幻想であって実際は停められないのではないか。
 よくよく考えれば、土日はイオンの近辺が渋滞になっているし、とても十分な駐車場を確保しているとはいえない。加えて、仮に停められたとしてもかなり長いこと歩かなければならない。それを考えると待ち時間のロスに加えて下車後の移動時間も加えれば、中心市街地のどこかに停めて移動したとしてもさほど変わらないのではないかとも思える。
 唯一違うといえば駐車場が無料、という事くらいか。実はこういう細かい数百円の話なのかもしれないと思いながらイオンの駐車場を徘徊する。

 この駐車場を徘徊しながら考ええたのだが、こんな事ならばネットで買い物すればよかったと心底思ったわけである。こんな駐車場をグルグルと空きを探してさまようというのは、イオンなど出来れば来たくもない身としては相当に辛い修行のような時間であった。
 何とか出た車のところにすぐに入れるというハイエナのような行動で、やっと駐車場に車を停めて中に入った。やはり人はいるようだ。何とも不思議な話である。そして、確かにイオニストと呼ばれそうなおじいさんたちがベンチを占拠して何か話をしている。こういう人たちがいるのかと。
 確かに、これが中心市街地であれば、この11月の寒空の下では殆ど時間的にもたないだろうと。結果としてすぐに退散するか、本当に寒さに耐え忍びながらそれでも座るしかない。その点、イオンの中は本当に温かく、頭を疑いたくなるような軽装の女性もかなりの頻度で見かけるのだ。

 ブログでは、モノからコトへ、消費させる方向が変わってきているという事を強調している。いずれにしても消費するという観点では一緒なのだけれど。
 しかし、決定的に違うといえば、イオンは擬似的な人工空間で、街はリアルな空間である。もやしっ子が多いバーチャル世代にとっては、リアルな匂いのする街よりも無菌室的な無個性な人工空間イオンの方がずいぶんと落ち着けるのかもしれない。

 こうなってくると、いよいよもって街の優位性というか存在意義というかをどう考えればよいのかという話になってくる。

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盛南の果てに得をしたのは誰だ
 いよいよ盛岡の盛南開発が今月末で終了という事だ。こちらの記事に記載されているのだが、当初の計画からかなり実態がずれてしまっている現状がある中で今後どうして行くのか。とても大きい問題だけが残った、という感じだ。

 記事中にある下記の文章がとても重要なので引用しておく。

”構想から43年、総事業費約791億円の巨費を投じた一大プロジェクトは、市役所移転計画の頓挫などの曲折を経て、かつての田園地帯を大型商業施設の集積地へと変貌させた。一方、居住人口は計画比約62%にとどまり、中心市街地の空洞化を招くなど、実像は高度経済成長時代に描いた青写真とはずれが生じている。”

 全く酷い話だ。金が無い金が無いといいながら、結局、ここで791億円も使ってしまった。しかもあんな下らない街を作るのにこれだけかけたというのか。
 結果として、盛南地区の開発をしてしまった為にロードサイド店がガンガンと進出して、盛岡も本当に全国どこにでもある街になりさがってしまった感じがある。また、あのような何処にでもあるショップが全国の生活者の生活を均一化していって、特色の無い地方が生まれていくのだろうと。
 一方では、地域の特色を、観光を新たなる産業として振興していきましょうみたいな話をしているけれども、あのような地区に喜んで集まっているような文化レベルの低い街の一体何処にわざわざ来るほどの魅力があるのだろうか。また、ああいう施設になれてしまうとどこか人間の品という部分でも画一化されるというか、低い位置で小さくまとまってしまうような、完全にイメージの話だけれどもそういう部分もある。

 つまり盛岡としては、791億円という巨額の金を使ってそういう全く持ってどこの街にもありそうな、そういう町並みを作り出しただけではなく、コンパクトシティを目指すといいながらも分散投資を進め、ただでさえ少ないリソースを広範囲にばら撒くという愚行を致している訳である。
 この話を始めると本当に疑問しか沸いてこないのだけれども、結果として、盛南開発をして誰が得をしたのか、という話はある。前述の通り、盛岡としてはすっかり都市がスプロールしてしまって、それだけでも大変なのに、加えて都市機能も中途半端に分散され、予定通りの人口増加には至らずむしろ減ってきていると。
 つまり想定された人口未満の人口でこれらのインフラを支えていく必要があり、しかもこれらの開発で土地が余らないように無理に引っ張ってきたテナントがディスカウンターである。

 本当にどうしようもないなと。結果として、ここに定住する人が絵を書いていないから、フィーさえ貰えばあとは盛岡がどうなろうが知ったことではない、という無責任な連中に食い散らかされたというような状態だ。
 本来であれば、県立美術館であるとか子供科学館であるとか、岩手公園周辺に持ってくるのが定石だろう。そうやってエリア価値を密度を上げて高めていくことで、中心市街地の価値を作っていくのが街づくりなのではないか。
 こんな、空き地にガンガンだれが使うか分からない、しかもどこの都市にでもあるようなテナントを沢山引っ張ってきて喜ぶみたいなことは、ある意味で誰にでもできる話だ。
 戻って、誰が得をしたかという話がだが、結果としてはURか。URとて国の天下り機関であるから、得だ損だという価値観の中には無い。そう思えば、何と、盛岡全員が損をして終わり、というような恐ろしい大失敗プロジェクトと評価せざるを得ないのだ。

 しかし本当にこの盛南開発だけは筋が悪すぎる。30年後、50年後、今の大人世代が、あの時は本当にアホなことをしたねと馬鹿にされる姿が目に浮かぶようだ。
増永 理彦
クリエイツかもがわ
¥ 2,100
(2012-11-09)

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ご当地ナンバーについて

 ご当地ナンバー「盛岡」を入れていこう、という話があるようだ。何でも盛岡のナンバーを入れる為に、盛岡を含め8市町村が関係してくるらしい。

 まず基本的なところで、Wikiによれば、ご当地ナンバーとは、地域ナンバープレートの地域名表示を弾力化し、自動車検査登録事務所の新設の有無にかかわらず、新たな地域名表示を認める振興や観光振興等の観点で国交省が2004年11月末から募集をかけているもの。

 対象となりえる地域の基準としては、

  1. 地域特性や経済圏等に関して、他の地域と区分された一定のまとまりのある地域であり、一般に広く認知された地域であること。
  2. 原則として、単独の市町村ではなく、複数の市町村の集合であること。
  3. 当該地域において、登録されている自動車の数が10万台を超えていること。
  4. 対象となる地域が、当該都道府県内における他の地域名表示の対象地域と比較し、人口、登録されている自動車の数等に関して、極端なアンバランスが生じないものであること。
というところだ。

 地域名の基準としては、

  1. 行政区画や旧国名などの地理的名称であり、当該地域を表すのにふさわしい名称であること。また、当該地域名が全国的にも認知されていること。
  2. 読みやすく、覚えやすいものであるとともに、既存の地域名と類似し混同を起こすようなものでないこと。
  3. ナンバープレートに表示された際に十分視認性が確保されるよう、原則として「漢字」で「2文字」とする。やむを得ない理由があるとして例外を認める場合であっても最大で「4文字」までとし、ローマ字は認めないものとする。

というところ。上記だけでも盛岡がご当地ナンバーを導入するにあたっては、突っ込みどころ満載なので、本日は上記を整理して終わりとする。

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もりおか雪あかりの効果のほど
 今年も先週の8日から10日までの間、もりおか雪あかりが開催されたそうだ。記事によれば今回で9回目という事で、よくも続いたものだ。

 最初にこの企画の話を聞いた時に、確か別の市町村でこのようなイベントをやっていて観光客の入込がすごいので、是非盛岡でもやろう、みたいな話だった。正直、こんな寒い中で本当にこんな事で観光客がくるのかと、話自体、眉唾だなと感じていた。
 実際はじまった雪あかりは、ものすごいボランティア動員がかかり、関係諸団体がシフトを組んで対応するような状態で、雪灯籠の作成でも随分の人員を必要とするのだが、の他に、この雪灯籠に火をつけていかなければならないという事で、毎日一定数の動員が必要、というようなイベントになっている。

 加えて当初はそれほどでもなかったのだが、最近では雪像づくりも行われているようで、一体どこに向かっているのか、という風。ひょっとして札幌雪まつり的なイメージを見ているのかもしれないが、それにしては規模がお粗末すぎる。

 一方で地元の専門学校からすれば地域貢献のわかりやすいイベント、手離れも良いということで、毎回大量の動員が行われている。正直はたから見ていると、学生たちの人数で十分回せるのではないかと思われるのだが、それでも引き続き関係団体にボランティア動員の依頼がいっているようで、何ともな話だ。
 結局、これを思いつきで始めた役人などは、暖かいところにいて気が向いたときにふらっと現場に出かけて、これはおれが始めたのだと誰も聞いてもいない自慢話をして自己満足に浸っているのだろう。考えればこのイベントの主たる成果といえばそれしかなかったのではないかと不安になる。

 冗談を抜きにしてこのイベントが行われた結果として、新聞やらでまたまた始まったのか、という程度の話でこの期間、このもりおか雪あかりを見ようと市外、県外から訪れている、という話は残念ながら聞いたことがない。
 確か盛岡市の当時の観光課長か何かが提案して始まったという事だったように記憶しているのだが、結果としてこのイベントは盛岡にどういう価値を作ったのか。これは検証されるべきことではないだろうか。

 綺麗だしいいでしょう、みたいな意見があるのなら、このイベントに一体公金がいくらかかっていて、また、義理の動員でどれだけの人間が巻き込まれているのか、調べてみるといい。少なくともそれだけの人件費を掛けた相応のリターンがなければすぐに辞めるべきではないか。

 10回目というのはそういう意味で、キリが良いかと思う。
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2700万円の退職金は高いか安いか
 昨日の続きである。基本的に2700万円が3月末までいると150万円減らされるから1月末でやめました、みたいな話をどう考えるかとういものだ。
 先日も取りあげたが、これには2つの考え方があって、無責任すぎるという意見と先生であっても一人の人間なのだから、ここで150万円を選択するのは悪くないのではないか、 という話だ。

 しかし、この話は大騒ぎするだけ騒いで、結局どういう結論が期待されるのだろうか。具体的には人件費をカットした上で3月末までいてもらう、という話に持って行って、これに従わない先生は叩く、みたいな方向になっているようにも思う。

 個人的にはまずはそもそも論から話をしなければならないと感じる。つまり先生の給与が高すぎるのだ。もっと言えば公務員の給与が高すぎるのだ。であるからして問題になるのである。
 今回の件に関しても、4月からの導入の方がきりが良いに決まっているのは小学生が考えても分かる話で、それを何で2月1日から導入したかと言えば、そこにコストが掛かるからだ。

 こちらの記事をご覧頂ければわかるのだが、4月1日スタートにすると約39億円も余計にかかることから2月1日実施とした、という話がある。
 39億円と簡単に言ってくれるが一体これはどういう金だろうか。そうなのだ、我々が汗水たらして働いた金を、制度の名のもとに一滴の汗も流さず搾取していった連中が、我々市民から搾取した金をどうやって分配するかみたいな話で盛り上がって、いや賞与だ退職金だとやっている訳である。

 それであきらかにその地域の平均給与よりも上等な給与をもらった上にこの巨額の退職金を手にして、更に150万円の減額も納得いかないから、金がもらえないなら辞めるみたいな話なのだ。
 しかも、2月、3月の給与は入ってくるので、結果として差引70万円がもらえるかどうか、の話なのだ。

 ある意味でこの制度を設計した段階で、早く退職しないとその人にとって損になる設計にしたのだから、制度の期待通りの動きになっていると考えられる。何度でも言おう、この話の根本的な原因は公務員が我々から搾取、あるいは巻き上げた金の配分がえげつなさすぎるから起きているから話なのだと。
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先生の早期退職について

 最近メディアで騒いでいる話に、先生の早期退職に関した話がある。詳細については皆様よく御存じの事かとは思うが、知らないという方はリンク先の記事をご参照頂きたい。

 特にも問題になっているのは埼玉のケースで、2月から段階的に居座れば居座るほど退職金が減額されるという制度設計になっており、3月末の年度末を迎える事無く教壇を去る先生がかなりの数いる、という話だ。
 これを受けて、埼玉県知事が言、学級担任が残り2カ月で辞めるのは無責任のそしりを免れない、とコメントしたという話も聞こえてきている。

 メディアの反応をみているとこうだ。当に埼玉県知事の怒りを代弁するかのごとく、無責任極まりないと怒っているもの。一方では150万円は大金だから、こういう条件設定では仕方が無いのではないか、というものだ。

 まず個人的に感じたところとして、給与が高すぎるというもの。これは民間と比較しているのだが、クビのリスクが無いのだから、もっと給与が低くても良いのではないかと単純に思う。
 何でも、埼玉県のケースでは勤続35年以上で月給40万円平均なのだそうだ。学卒でストレートで先生になれば、23歳からキャリアをつむことになるなら、58歳で40万円か。主観の問題だが、これはやはり高い。

 この給与の高い低い論になると、必ず出てくるのが給与を低くすると優秀な人材が集まらない、というもの。明らかに民間よりも高い給料をもらっているようだけれども、果たして優秀な人材は集まってきているのだろうか。
 加えて、皆の税金で賄われる行政サービスはある財源をベースに支出を決めるのが基本的な考え方だろう。となれば、世間と比較してというのはナンセンス極まりない話であるし、そもそも、優秀な人材が先生として集まってしまったら、誰が納税するのだ、という話はある。私立でもない限り、先生たちは公務員なのだから、いずれ民間の納税に依存しているのだ。

 加えて、この退職金である。よくテレビのケースで出てくるのが2700万円みたいなケースなのだけれど、これについてはどうか。決して安くない値段だと思うのだが。少なくとも個人的な感覚で言えば高すぎる。

 そもそも公務員にボーナス、退職金という特別支給の概念が適当なのか全く分からない。
 霞が関の官僚が悪巧みをしてこういう仕組みを作ったのだろうが、金は無いけれども給料は払うみたいな訳の分からない発想はもうやめにしようと感じる。

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日本の文化がいやなら今すぐ国に帰れば良い

 NHKにCOOL JAPANという番組があって、その特番が年末だか年始に放送されていた。これを見ていてかなり頭にきたので忘れないようにここに記載しておきたい。

 どういう内容の番組だったかと言えば、外国人たちが日本によくありがちなシチュエーションなどをVTRなどで見ながら、これはクールだとかこれはクールじゃないとか言っているというもの。
 途中までは面白おかしく見ていたのだが、あるトピックに話が至った際に段々と腹が立ってきて結果として何とかあの外人たちにガッチリ言ってやりたいとまで感じるようになってきた。
 そのトピックは「何故、日本人は人の年齢を知りたがるのか?」というもの。

 VTRでは、河原かどこかでバーベキュー合コンみたいな事をしているシーンがうつされている。これは台本を作って撮影したフィクションでなくて、あくまでそういうシチュエーションを作り観察しているような立ち位置だ。
 ナレーションでは日本人は年齢によって人間関係を構築していると言って、年齢をお互いに確認するところ、年齢が分かったとたんに年長者は偉そうに振る舞い、年下のものがイソイソと肉を焼いたりする。
 その年下集団の中でも年上の女性が1歳下の男性に指示を出したり、特に嫌がる風でもなく年下の男性が指示に従って動く、この2人の会話が年齢が分かってから爆発的に活性化した、みたいな我々からすればさもありなん、というようなVTRであった。

 これを見た後に外人から様々とコメントが出たのだが、一番納得がいかなかったのが、フランスとアメリカの女性。何で年齢で序列が出来るのか、という話。若いけれども能力があるというやつもいるのだから、年齢で見るのは全く意味が無い、というような話であった。
 フランス人が何だか鼻息を荒くしている感じであるのに対して、アメリカ人の女性は、真剣に年齢序列の弊害を述べて心配した風な顔でこの文化は日本の悪しき習慣で国益を毀損しているみたいな話をしていた。

 まず言いたいのは、各々の社会では、年齢を重ねる事での人生経験について一切の価値を認めていないのだろうか。あまりにも多様化した社会すぎて、年齢と人生経験がリンクしていない可能性は否定できないが、それでもその人なりの人生を歳の数だけ過ごしている訳で、これに対する尊敬は無いのか、と率直に思った。

 加えて、他の国の行っている能力主義ってのは、一体どういう客観軸があるのか。例えば同じ仕事をした際により成果を出せる、という事であれば日本であっても既にそれはそれで評価される仕組みになっている事を知らないのだろうか。
 日本は年齢主義というよりは経験主義なのである。一つの事に精通するという事について高い価値を見出し尊敬しているのだ。裏を返せば、普通の社会人であれば年相応に何か持っている筈、という前提が日本の社会にはあって、それに恥ずかしく無いような人生を送ろうと心掛ける文化があるのだ。
 例えば、同じ会社に同じ年齢の人が居たとして、その仕事に携わっていた時間が短ければ、経験が浅いとみなされ、年齢とは全く別の処遇となる。こういう実例からしても、そもそも外人が考えているような年齢主義では無いのである。

 という事で、どういう知識理解に基づいて発言しているのかは知らないが、言われっぱなしでスタジオにいた日本人も情けない限りだ。ガッチリ言い返してやれというか、それが嫌なら日本では生活できない訳だから、どうぞお国にお帰り下さいという話だ。

 逆に外人が日本の社会にうまく取り込めないのを年齢主義だとか、そういう日本の社会体質や文化のせいにするのはどうなのか。いやなら立ち去れ、それだけである。何も日本があなたがたが住みやすい社会を作る理由は全くないのだから。

NHK『COOL JAPAN』取材班
武田ランダムハウスジャパン
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(2008-12-18)

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決裁とはそういうものです

 先日からの田中文部科学省の発言に端を発した大学認可騒ぎであるが、人災もここまで来ると本当に笑えない話だ。

 話を整理すれば、来春の開校に向けて、今まで準備をしてきた3つの大学、秋田公立美術大札幌保健医療大学岡崎女子大学、が突然、田中文部科学省大臣の大学は多すぎるので新設は認めない、とした発言から騒ぎが始まった。

 結局は、当初、現行制度では認めない、としていたものを、新制度で再度検討する、最後はやっぱり許可にします、という流れ。
 最後に田中大臣は「良い宣伝になったでしょう。」と仰ったそうだ。

 田中大臣の言いたかった事としては、現在の大学は定員割れを起こしている大学も多数あり、経営状況も良くない。かつこのような状況で生徒募集をしているので、入学する学生の質を下げてでも頭数を確保する必要があり、結果として大学のレベルが著しく下がっている。
 このような流れに歯止めがかからない中で、更に新しい大学を設置するなど言語道断である、更に競争環境を劣悪にしてどうするのか、という話。

 世の中的には、田中大臣の言っている話も分かるとする人もいれば、そもそもやり方が良くないと。突然出てきて許可しないというのはあまりにも今までの流れを無視しているのではないか、と話す人もいる。

 個人的に感じるのは、まず、大学を作るのに認可が下りる前に既に生徒募集を始めるというような事がどうして起きるのか、という話。準備している云々は置いておいて、タイミングがおかしくないだろうか。
 結果として今回は田中大臣が引きがねを引く形になった訳だが、以前からこのような許可のスケジューリングであれば、NGとなる可能性は十分にあった訳で、これを想定していない流れがまずおかしくは無いか。

 どうも世間の新聞を見ていると、NGを出すのがあまりに流れを無視しているという論調の者もあるのだが、基本的に決裁とはそういう性質のものなのだ。
 いくら積み上げてこようが、最終決裁が得られなければ事業実施はできない。それが組織として当然の話だ。これが必要ないというのであれば、決裁が必要ないように権限字体を現場に与えるしかない。
 決裁を得られない状態で云々カンヌンというのは、単なる現場の暴走である。

 結論として、今回は田中大臣の云々という話もあるが、個人的には決裁の前まで作り込んできたのだから、黙ってメクラ判を押せ、という風な空気が非常に気になるのだ。

| kulo. | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
考えるのと要望とは意味合いが違う

 この前河北新報にの2012年10月29日に釜石でJR山田線の復旧を考える集いが開催されたとの話が掲載されていた。
 内容についてはリンク先をご参照頂きたいのだが、何しろ、記事にも”山田線の早期鉄路復旧に向け、それぞれの立場で必要性をアピールした。”と書いてあるように、復旧を考える集いというよりは復旧を訴える要望大会、という内容である。

 まずは三陸鉄道の社長さんのスピーチという事で、同社が保有している南リアス線と北リアス線の間を結んでいるのが山田線という事で、三陸鉄道のイメージとしてはやはり山田線に鉄道として走っておいてほしいと考えているのだろう。

 記事ではスピーチの一部を引用して”鉄道が廃止されれば、地域の衰退が加速する。観光には重要で、北リアス線と南リアス線をつなぐ山田線は、鉄路だからこそ価値が高まる”と社長が述べたと書いている。この短い中にも突っ込みたい箇所は沢山ある。

 まず、鉄道の廃止=地域の衰退が加速、このロジックが明らかになっていない。何故、鉄道の廃止をしたことで地域が衰退するのか。
 はっきり言えば、分不相応な公共交通システムを抱えて継続的に税金投入するような破目に陥る方が地域の衰退を加速させるのではないか。

 次に、観光には重要、というところだが、鉄道が観光に及ぼす影響をロジックで示しきれていない。当然ながら、輸送密度の話をしているのかもしれないが、そもそもインバウンドがどれくらいあるのか。かのJRディスティネーションキャンペーンをしても、三陸の観光客下落の歯止めをかけることはできなかった。
 この状況で、観光客が爆発的に伸びる事は想定できず、したがって現在の乗客数を念頭に置いて、輸送密度を考えて問題ない、つまり鉄道は必要無い、という事になる。
 また、鉄道は鉄道自体にファンが多いからそれで人を呼ぶことが出来るという話もあるのかもしれないが、何しろ来る方はワンショットで、リピーターがそれほどいるとも思えない。むしろこれらのハードを維持するために投入される赤字補てんの血税を考えれば、まったくもって観光に重要、として増加した人々による経済効果とは比較にもならない。

 最後に山田線は鉄道だからこそ価値が高まる、という部分。全く持って謎である。山田線は鉄道だからこそコストが高まる。これなら話は分かる。鉄道は金が掛かるからだ。しかし価値が高まるとは何とも奇妙な話だ。
 価値が高まった結果として黒字のドル箱路線になる、そうするというのであれば、借入を社長の個人責任にして実施すれば良い。皆様もお分かりと思うが、そんなことは無理なのだ。

 つまり、百歩譲って鉄道で価値を高めたとて、以前以上のものになるべくもない。結果として赤字体質からは絶対的に抜け出せない、という事になる。
 三陸鉄道に関しても、年間の赤字幅が減少しました、みたいな話がニュースになっている。基本的に沿岸部の人口が爆発的に減る可能性は懸念されても、増える要素は全くと言っていいほど無い。
 ついては、むしろ、北リアス線は動いてしまっているから、未だ復旧していない南リアス線も一緒にバスにしてしまうなどして、経営改善を共に考える必要があるのではないかと真剣に心配になる。

 その他、利用者からの声が出ているが、国の支援も必要という話については、当然、復旧後採算がとれるというのが支援の前提になるであろうし、お母さんが大変そうだ、というのについては、鉄道だろうがバスだろうが関係ない。

 最後の教授の言葉、鉄道と地域発展をどう結び付けるか考えてほしい、との事だが、教授が考えて解らない事を一般の者が分かる訳がないだろうと。そういう事だ。結局、まともにコスト意識を持って考えている人間がいるのかとても不安になってくる。

 JR山田線を復活するに当たり、地域一人当たり、これくらいの負担が必要です。チケットはこれくらいでないと採算が合いません。数字で話をした方がいい。イメージできる数字になって初めて議論というのは真剣みが増すものだ。

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あなたはなにがしたいのか2
 おでってテナントの未払いの話の続報だが、何でも盛岡市の議員さんの委員会でこの件を取り上げた共産党の議員さんがいたらしく、本当ならばすぐに退去させるべきではないか、という話をしたとのこと。

 何かの記事で見たのだが、面白いのが市役所の担当者が雇用者もいるので何とも、と答弁したという話だ。いったい、どっちがどっちなのか、と聞きたくなるようなやり取りである。
 何度考えてみても、やはりあそこの立地でまともな商売が成り立つとは到底思えないのだ。そこにむりやり喫茶店などを継続させて誰が得をしたのだろうかという話である。

 しかし、この話は本当におかしい話だ。1Fの産直と居酒屋は何となく理解できるとしても、あの5階に喫茶店を入れて収支が立つと誰が予想したのであろうか。何ともである。
 加えてよくよく考えてみれば、何で公共施設に飲食店や物販店を入れる必要があったのだろうか。この計画自体にそもそも無理があったのではないか、という気分になる。

 一番最初の入り口に無理があるので、その後も無理が重なってくる。面白いのがあれだけ厳しい立地にあるのに、議員さんは相場からすると安いみたいな話をしている。では議員さんに聞きたいのだが、相場とは一体何か、という話だ。
 そもそも相場なりにテナントを募集したならば誰も入らないということに気付かないほど経済センスがないのであれば、本当に恥をかくだけだから発言を控えたほうが身のためではないかと心配になる。
 相場というのはそこそこの取引が行われている状況で、ある程度、需要と供給とが折り合いがつくあたりの話であって、ワンショットでいくら、しかも条件は通常のテナントと全く違うということであれば、相場、という概念を持ち出すこと自体が間違いだ。
 放っておけば万年空きテナントになる可能性もあるところにとりあえず入って雇用だけでも増やしているという事実、これは加点にならないのだろうか。

 やはりこうして考えてみると、どうやって黒字化するかという話よりもなんであそこに飲食店を入れたのか、という方が問題のような気がしてきた。
 いや、これとて今更言ったところでどうこうなる問題ではないだろう。

 個人的には、今未払いの借金については不問とし、以降の契約については売上歩合制として、むしろ雇用を守る方向で考えたほうがいいのではないかと。

 なぜかといえば、結果として金を払わないのなら出て行けと言えば、万年空きテナント、失業者も10名以上出て終わり、というのが目に見えているからである。この前、鼻息を荒くしていた先生にこの辺の事実と向き合ってもらってそれでどういう意見があるか、逆にお伺いしてみたいものだ。
佐々木 信夫
PHP研究所
¥ 777
(2009-10-16)

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